「万智の交遊録」特別編は、編集者の安原顕さんです。
安原顕さんのこと
さきほど、安原顕さんの訃報を聞きました。つつしんで、ご冥福を、お祈りいたします。私は、たった一度しかお目にかかっていないのですが、あまりにも強烈な印象だったので、その日のことは、よく覚えています。それ以来、安原さんの書評を愛読してきました。 場所は、新宿の中村屋のティールーム、一九八七年の四月でした。そのころ安原さんが編集にかかわっておられた「リュミエール」という季刊の映画雑誌のインタビュー欄で、取り上げていただくことになったのです。ちょうど第一歌集『サラダ記念日』の見本が、前日にできたばかりだったので、一冊さしあげました。 「この欄はねえ、才能があって美形っていう条件なんだけど、いないよねえ、才能があって美形なんて」 「あっ、すみません。才能もないし、美形でもなくて」 「いやいや、じゅうぶん、じゅうぶん」 そんな感じで、終始、安原さんのペースでした。短歌を作るようになったきっかけや、ふだんどんなものを読んでいるかなど、ひととおり話したあと、歌集の話になり、「で、何部刷ったの?」と聞かれました。 「えっと、出版社の人が八〇〇〇部って言ってました」 「八〇〇〇! 八〇〇〇?」──安原さんは椅子からずり落ちそうになって、一言。 「その編集者は、キチガイだね」 無名の新人の歌集の部数としては、あまりにも無謀な部数なのだということを教えられ、くらっとしたことを覚えています。 ずっと大きな声でガハハという感じだった安原さんですが、「『海』っていう文芸誌、知ってる?」と聞かれ、「いいえ」と答えたときだけは、とっても寂しそうな顔になり、しょんぼりされました。かつて安原さんが編集していた素晴らしい文芸誌だったそうです。後に、その雑誌のバックナンバーなどを見るようになった私は、大変失礼なことをしてしまったなあと悔やみました。 今、そのインタビュー記事を見ると、映画の雑誌なのに「映画は見ませんか?」と聞かれ、「ええ、時間がなくて、ほとんど見ません。テレビも見なくて、家にはつい最近までテレビもなかったんですが……」なんて答えています。まったく、もう……。 その後、歌集が評判になるにつれ、インタビューを受ける機会は、ものすごく増えました。が、個人名でインタビュアーを覚えている人は、ほんの数人です。たぶん、こんなふうに、会う人すべてに鮮烈な印象を残していかれたんだろうなあと思います。 あとで聞いたところによると、その日編集部に帰った安原さんは、私のことを、「いやあ、子ども、子ども」と、おっしゃったとか。まさに、子どもだったのでしょう。 実は、私は、今年散文のほうで、ちょっとした冒険をしてみようと思っています。心のなかで、たとえば安原さんのようなかたが読んでくださったら、どんな感想を持たれるかしら……と、生意気にも、ひそかに思っていました。その機会が永遠に失われたことは、ほんとうに残念です。でも、きっと安原さんのことだから、天国でも本を読みつづけられるのでしょうね。あらためてご冥福を、お祈りいたします。
|