「万智の交遊録」第19回は、北杜夫さんです。
『どくとるマンボウ航海記』に夢中になったのは、十代の初めごろだったでしょうか。
高校生になって『夜と霧の隅で』を読んで、これが同じ作家の手によるものかと驚いたこ
とは、新鮮な文学体験でした。私の父が、若いころから北さんのファンで、まだ東北大学
の院生だったころに、『幽霊』という単行本を買って感激したのが最初だそうです。北さ
んが芥川賞などをとる前の話ですから、父は今もその『幽霊』の初版本を大切にして自慢
しています。
高校の教師を辞めてから四年半ほどのあいだ、私は都内某所の緑豊かなところに住んで
いました。たまたま借りたマンションだったのですが、そこから歩いて一分もかからない
ところに、なんと北さんが住んでおられたのです。出版社の人から、その情報を得て、私
は舞い上がってしまいました。そして、今となっては、どういう作戦(?)でお近づきに
なったのかよく覚えていないのですが、とにかくご近所ということで、ちょこちょこお邪
魔するようになったのでした。
リビングで、おいしいワインやお寿司をご馳走になったり、「将来、エッセイのネタに
困ったときには書いてもいいよ」と言われながら二階のお部屋を見せてもらったり……。
矢代静一さんのお嬢さんにお会いしたのも、北さんのお宅でのできごとでした。
その後、引っ越しが決まったときも、北さんとご近所でなくなることだけが、心残りで
した。写真は、茂吉四部作の大著で、大佛次郎賞を受賞された北さんの、記念講演会での楽屋で撮りました。光栄なことに、私が聞き手の役をつとめたのです。
斎藤茂吉論は数多く出ていますが、息子であり、文学者であるという、最高のポジショ
ンにいる北さんの書かれた茂吉論は、非常に素晴らしいものです。私は、この四部作を読
んで、茂吉理解が深まっただけでなく、茂吉のことがだいぶ好きになりました。いえ、こ
れまで嫌いだったというわけではないのですが。あまりに大きな存在すぎた彼を、身近に
感じられるようになった、ということでしょうか。
久しぶりにお会いした北さんは、ちょっと腰の具合が悪いということでしたが、相変わ
らず優しくて、おもしろい、素敵なおじさまでした。
第18回 星野富弘さんへ
第17回 平地勲さんへ
第16回 南こうせつさんへ
第15回 岩城宏之さんへ
第14回 野田秀樹さんへ
第13回 鴻上尚史さんへ
第12回 吉永小百合さんへ
第11回 森啓次郎さんへ